パラレルリアリティ

あれよあれよと言ってるうちに、上着なしではいられないほど、涼しくなってまいりました。きのうの雨もすっかりあがり、東京は青空に包まれています。

自分のずれを戻す。これが最近の気づきであります。仕事でも、フィットギャップセッションが大事だ、と言われてまして、まさに自分の中のテーマとシンクロしていて、感心させられます。

世界が自分自身が展開されたもの、と思っていまして、最近読んだバシャールの本では、世界は自分の鏡であるという表現がされていて、一緒だなぁ、と思いました。そして、パラレルワールドの話。これはSFチックだけれど、とても面白いですね。

「自分の中で創る変化とともに、現実から次の現実、次の現実へとシフトしています。みなさんは、ひとつのパラレルリアリティ、別のパラレルリアリティへと、毎秒、何十億回とシフトしています。1秒間に何十億回と、ひとつの宇宙から、別の宇宙へと、あまりにも自動的に、スムーズにシフトしているので、気が付かないだけです。そう意識し始めると、今度は自分でシフトしていきたい、望む現実を、意識的に選択していくことができます」
だそうです。

望む現実ってなに?自分自身に対する問いです。今の自分は、世界を見ればわかります。なぜなら、それが自分が反映された世界だから。では、望む現実とは?抽象的なイメージなら、たとえば優しいとか明るいとかさわやかとか。でも、具体的となると、表現が少し制限される気がして難しいです。言葉にすることでも、表現が限定されてしまいますし。

でも、自分自身をもっている波動のようなものを高めていくこと。そのために、本来の自分を取り戻そうとすること。そのために、何が一番わくわくするのかを感じ取ること。大事ですね。

今思うと、4年前、会社を変わったのも、自分と波動が合わなくなってきたからといえるかもしれません。現実をシフトしてきたんですね。見方を変えると、面白いです。

自分に気づく

音楽を聴いたり、本を読んだりして感動することがありますが、ふと思いました。何に感動したのかしら。何かを与えられたわけではなくて、音楽や言葉が、自分の中に隠された何かを自分が思い出させてくれたんじゃないのかな。

気づくって、そういうものなのかな。同じことを99回きいても何も思わなかったのに、100回目にめちゃくちゃ感動することってあります。それは、そのとき心の扉が開いたのかな。自分でもしらないものが自分の中に隠されていて、それを発見することが気づきという考え方もあるかも。

でも所詮、考え方って固定したものではないし、誰にでも同じではないので、そういうことも、それぞれの人がそれぞれ気づいていければいいなぁと思いました。それが成長のキーワードかしら。

愛情なくして成長なし

おととい、ヘミシンクというものを体験してきました。左右の耳から周波数の異なる音をきくことにより、意識が変性意識になるやすくするというもので、瞑想をするお坊さんやヨガをする人の経験に似たようなことを簡単にできるらしい。

いろいろ面白い体験ではありました。体験内容は人それぞれで、何が真実かはわかりませんが、自分で体験してみるというのはいいことだと思います。合う人合わない人いろいろと思いますが、体験なくしては何も語れないでしょうから。

セミナー参加者は8人。明るく元気な人、というよりは、いろいろ悩みを抱えている人のほうが多かったと思います。やはりこういうセミナーには、順風満帆にいっている人より、悩み多き人が集まってくるのでしょうか。

自分を大切にできない人が他を大切にできるはずはないですが、自分ばかりに目がいくというのも違う気がします。他に目がいかない理由は、やはり愛情不足でしょうか。自分をみてて、頭で考えていることに愛情を添えることができない、愛情の不足というのをひしひしと感じます。愛情を育てるというのは、とても難しいですね。だから、家族というのは、自分の中の愛を育てるのに、とても重要なんでしょうね。

私がクリスチャンではありませんが、聖書で好きな言葉があります。
     「愛がなければ、無に等しい」
どんなに知識があっても、いろんなスーパーな経験があっても、愛情なくして成長なし。

瞑想よし、ヘミシンクよし、でも、愛情をはぐくむ生活を、まずはしなくちゃね。

循環と成長

秋は夕暮れ、だそうですが、朝もいいと思います。英語で秋はfall、落ち葉をイメージしているのかどうかわかりませんが、秋の朝日は、光がFallしているように感じるのは私だけでしょうか。まだ緑を残した木々の葉っぱに、天から落ちてくる光が、さらに土の上に落ちていくのは、なんとも美しいです。

体は食べて寝ていれば成長し、ピークを過ぎれば次第に弱っていきますが、それは物質世界のなりわいというもの。時間の中で循環しているんですね。でも、心の世界はちょっと違う気がします。循環ではなくて、成長して飛翔していくもののような気がします。食べて寝ていれば肉体はそのサイクルをプログラムされた通りに循環しますが、心の世界は経験と気づきを通して成長するのかなと思いました。最近、肉体の衰えを微妙に感じづつも、人間としては学ぶことが多いんです。これって一生続くのでしょうね。

形式と依存

朝、6時過ぎに家を出て、ロイヤルホストでゆっくり過ごすことがあるんですが、今日はその日。いつって決まっているわけではありませんが、朝4時半には目がさめ、早すぎだと思ってベッドでごろごろしていたのですが、5時半には起きて、家を出ました。

最近、会社で、顧客中心という考え方を推し進めていこう、という話になっています。で、それってどういうこと、という話があって、みんないろいろ言うのですが、いろいろ意見があって、それは大いに結構。でも中には、意見をまとめようという人がいたりして、それはちょっと危ないな、と思ったりしました。

意見そのものはいいと思いますが、それが、価値観を決めるものであったり、ある意見にみんな従わないといけない、というふうになるのは、一種の統制になり、強制につながっていきます。その時点で、本来の内容ではなくして形が優先されておかしくなっていきます。イデオロギーの統制みたいなものです。

さらに、形ができてしまうと、今度はそれに依存してしまうんですね。自分で深く考えたり、試行錯誤したり創造性を発揮したり、というものが薄れていくことにもつながっていきます。

かといって、形がないと先に進まないのがこの世界。形をコントロールできるようになれば、これは大きな成長のあかしといけるかもしれないと思いました。

台風とあさがお

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今、外は雨と風で荒れています。でも朝は晴れ。移り変わる季節の中でも、特に夏から秋へは、いつも台風で激しくて、なぜ他の季節と違うのかしら、と思ってしまいます。

ニュースは尖閣領土の話が多くて少しうんざり。そんなに領土に固執しなくてはいけないのかしらね。エネルギー問題?国内であれば、領土問題は起きない(と思う)ので、国が分かれるというのは、何か特別なものでもあるのでしょうか。これで、もし宇宙人と地球の領土の話とかが出てくれば、今度は、国レベルの話ではなくて、星対星の領土問題?

もともと土地が誰のものかだなんて、それは地球のものでしょう。家たてるのに、どうして土地代を払わなければいけないか、いまだによくわからないまま、ローンを払っています。とほほ。

先週、テニスに行けなかったので、今週、集中してやっています。フォアハンドのやり方がだんだんわかってきました。何をするにせよ、上達するというのが、何よりのモチベーションですね。

風邪

風邪をひいてしまいました。熱はないのですが、鼻水と痰。季節の変わり目とはいえ、自分の不養生が情けないです。

私の会社のパソコンには、「Illusion」と画面の片隅に表示させています。仕事をしていると、ついつい仕事に集中してしまって、大切なことを忘れてしまうんですね。それで、「Illusion」と画面に表示させていると、この目の前の出来事も、本質はその中にあって、表面に惑わされてはいけない、ということを思い出させてくれるというわけです。

テレビドラマでも、本の中の物語でも、その話が事実であろうがなかろうが、それは重要ではなくて、何を感じ何を学ぶか、が大事かしら。生活という実物大のドラマの中で、それは幻想のようなものかもしれないから執着してはいけないけれど、それを通して、何を学び、自分がどう成長できたか、ということは、本当に大事なことだと思うんです。

愛は、高さと深さと広さが大事だって、昔聞いたことがあります。いい表現だと思います。

入れ物

仕事にやりがいを感じている人はうらやましいですね。そんなことをふと思いました。そういう人はどれくらいいるんでしょう。そういうと、やりがいを感じるくらいまで真剣にやれとか、おっしゃられる先生もいらっしゃって、そうとも言うか、と思ったりもしますが、実際は、なかなかそうはいかないものです。

さて、最近、通勤やオフィスでの人を見ていて、思うこと。人がまとっている肉体って、入れ物だなってことです。入れ物の中に入っているものが大事で、それはきっと形がない。オバケのQ太郎ってアニメが昔ありましたが、あの白い服?みたいなのを脱ぐと、中は黒いものか、あるいは何もないというべきか、そんなシーンがあったようなかすかな記憶がありますが、人間もそうなんじゃないかしらと思います。

その中身が、入れ物の目や耳を通して、人生の舞台を経験しているのかなぁ、って。人生は演劇である、と福田なんとかさんという演劇家が言っていたような30年以上も前の記憶がありますが、そんなことも思い出しました。それはともかく、肉体は入れ物だ、と思い始めると、妙な現実感が出てきて、これまたユニークなものです。

秋雨?

週末は晴れているのに雨が降っているかと思えば、今は台風かと思うような激しい雨。季節の変わり目とはいえ、大きな自然のうねりを感じるようです。被害にあわれた方は大変気の毒ですが、一方で汚れた大気や大地が少しでもきれいになるといいなと思います。

宿便と宿業。人間はこの2つで死ぬ、と聞いたことがあります。どんなに快食快便であっても宿便はたまるものですし、どんなによく生きているつもりでも、(なかなかそういう人はいませんが)、なんらかの業が蓄積されるのかしら、なんて思います。だからこそ、たまには下痢をしたり、罪滅ぼしをしたり、それが人間なんでしょうか。

窓を打つ雨が、また一段と激しく、遠くで雷鳴がとどろいております。スピーカーで聞くどんな音楽よりも迫力があります。こうした自然の前では、おとなしく頭をたれていたいものです。

一息

外人への予算のプレゼンテーションが終わり、ほっとひといきです。うまくいった部分、いかなかった部分などありましたが。忙しかったり、プレッシャーがあったりのあとは、何かすがすがしいような気分になるのは不思議ですね。逆にこういうのがないと、人はどんどん内向きになって、元気がなくなっていくんではないかなぁ、と思いました。

世界は、自分の心のフィルターでどうにでも見えるもので、笑ったり、怒ったり、緊張したり、喜怒哀楽は、関係のない人から見ると、おかしなものかもしれません。そうはいっても、周りの世界とその人を結んでいるものはあるように思えます。そこにリンゴが置かれているのと、怒っている人がいるのとは違います。怒っている人の周りには、そういう雰囲気があって、伝染します。とても緊張した雰囲気の部屋に入っていくと、そういう雰囲気が私の感性に影響を与えます。

であれば、どうせなら、にこやかで穏やかで温かな雰囲気を放射できたら素敵だなと思います。そういうふうにできるようになるのも、成長のあかしの一つ。それができないと、テニスの王子様ではないですが、「まだまだだね」、と自分に苦笑することになります。

メタファー

朝晩、涼しくなってきました。さすがに日中は残暑が厳しいですが、朝家を出るときは、初秋の肌触りを思い出させる空気を感じるようになってきました。

「気づくか否か」。その人にとって、本当に大切なことは、教えることはできないものなんだろうなと思います。本人が気づくしかないんでしょう。そのためには経験を積むのは意味があることでしょうが、要領のよい人は、自分で経験しなくても、見たり聞いたりすることで、気づいてしまうことができるのかもしれません。

その気づけるアンテナができてくると、身の回りの当たり前のことから、また新たなことに気付いて、身の回りのことが、暗号のように思えてくるかもしれません。世の中が記号でできているように思えることがあるかもしれません。そんな風の考えると、この世の中は不思議だなぁ、というふうの思った今宵でした。

ベルギービールウィークエンド

おととい(だったかな)、ベルギービールウィークエンドというので六本木に行ってきました。私はアルコールはだめなんですが、会社のほかのメンバーと来るように言われたので、参加。まあ、こういうのは後むきっていうのが私の悪いところかしら。
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次元が違う、っていう言葉があります。夜テレビを見ていたら、カラオケの点数を競うような番組があって、プロの歌手と競うようなものもありました。プロが勝ったのもあれば、素人のうまい人が勝ったのもありましたが、点数は度外視して、プロは違いました。点数ではなくて、次元が違いました。

きっとそういうものが、日常でもいたるところにあるんでしょうね。次元が変わるとすっぽんが月に変わる。仕事でも、自分自身でも、次元をあげる、というのは、何かを卒業する。さなぎが蝶になる。次元をあげたいなぁ、と思う今日この頃です。

夜のまったりテニス

水曜にテニススクールに行ったのは、随分と久しぶりです。夜のまったりとした空気の中で屋内でやるのは、なかなかおつなものです。不思議な世界に迷い込んだみたいな気持になります。

日中は、今は会社の予算作成の時期なので、オフィスはぴりぴり。どこも多目に経費予算を入れてくるので、突っ込むと関係が悪くなったりモチベーションを下げさせてしまったりするので、なかなか難しいものです。

そうそう、ちょっとびっくりしたのが、IPadの購入について、固定資産だと海外の本社が行ってきたことです。これには驚きました。それは会計上、おかしいでしょう、ということで、さっそくIFRSの海外の担当者にメールを入れたのですが、今のところ返事なし。日本の中で話をしたんですが、そりゃ経費でしょうよ、とみんな言っていました。

毎日、夜になると、反省ばかり。日中、その思いがあればいいのでしょうが、仕事中は仕事のことに気を取られて、心に余裕を持てないのは、ほんと情けないです。もう10年20年、同じことを繰り返しているような気がしなくもないです。感謝の思いよりも、だれかが悪い、みたいな気持ちが出てしまうのは、本当に情けない。

せめて就寝前と起床後くらいは、その気持ちをもっておくよう自分に言い聞かせます。

業と使命

月曜は、夕方までだるくて、それから平日モードに戻ることが多いのですが、今日はまさにそんな感じでした。もともとは宵っ張りのほうなのですが、ここ何カ月も早起きする習慣をつけようと、5時半から6時くらに起きようとしているので、なかなかバランスがとりにくいのと、日曜に行っているテニススクールでの練習で、体が疲れているのとの両方なんだと思います。

人生の目的は何か。そんな深遠な問いかけを自分にすることがあるんですが、それに対して、これまで、これではないかいな、という自分なりの回答をしてきました。今日、割とすっきりした答えが出た感じがします。

業と使命。自ら学ぶべきことを身をもって学び、すでに身につけていることがあれば、それを人とシェアをしていく。なるほどなぁ、と思いました。この一週間で読んだ本にそんなことが書かれてあったんです。「Diary of a Psychic]というのがその本なんですが、これはおもしろかった。

「Diary of a Psychic」  Choquette, Sonia 著

人生は学びだ、ということはよく言われていて、一方で、生きているうえでやらなければいけない使命感というようなものもあって、この2つがなかなか結び付かなかったわけです。そこがなんとなくわかった(ような気がする)という感じです。

もっと知りたいことがあって、その答えはまだ見つけられていません。まだまだ成長が足りないということですね。

足場も必要

一週間のニュース振り返りとかをみていると、領土問題が必ず出てきます。政治的に、感情的に、難しい問題というのはわかりますが、なんか悲しい気もします。

領土は地球の一部で、誰のものでもないし、人間様が勝手に分けたもの。そもそも国が分かれてなければ領土問題なんて起こらないのに。東京と神奈川が領土問題、なんて聞いたことがありません。人間のエゴだと言ってしまうのは簡単なんでしょうけど。


今日の反省。夕方、機嫌が悪くなって、1時間半ばかりベッドに横になっていたこと。

自分の弱さですね。自分が弱いというのは、我に執着しているということでしょう。自分が弱いとは、自分の我が強いというのと近い。逆にいえば、我が弱くなれば自分は強くなれるかしら。

古今東西、この我をいかになくすか、について、いろいろな形で言われてきているようですが、我があることが成長する上での足場になる、という言い方もできそうなので、自分が成長するのにちょうどよい、超えるべきハードルがそこにある、というふうに思うことにしましょう。

これも、言ってしまうのは簡単なんですが。

瞬間豪雨と青空

朝、突然大雨が降ってきて、家の屋根を打ち付けていました。そして、数十分したら、青空が。雲も白く、こんなに青い空とこんなに白い雲をみたのは久しぶりです。
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今日の午前中は、英語のクラスがあって、約2時間半参加。あと1か月でプレゼンが終わり、それで終了なんですが、仕事のピークと重なるので、なかなか忙しくなりそうです。

もともと学生のころは、英語が大の苦手で、まさか外資系で英語を使って仕事するなんて思ってもみませんでした。もともと無口なほうで、日本語だって、そんなに流暢に話せないのに。人生はなかなか皮肉なもんです。おかげで、いろいろな苦労や発見やあって、有意義なプロセスを過ごせたような気はします。

本を読んでいて、hypnotized by the material plane or our egos or our personalitiesという表現がありました。ニュアンスが少し違うかもしれませんが、酔生夢死という言葉がおもいうかびました。もうだいぶん前になりますが、マトリックスという映画があって、それもおもいうかびました。何がリアリティなのかは、難しいですね。

夢中で頑張るのは大事だけれども、エンジョイするのは結構だけれど、それ以上に、自分とは何なのかを見つめる目をもっておくことがもっと大切だと、今日はそんなことを思いました。

感謝のこつ

8月の最終日。残暑は残るものの、夏休みの終わりと一緒に夏も行ってしまうようです。社会人になると、そんな季節感も薄くなってしまいますが、ゆっくり変わる季節に畏敬の念を覚える人もきっと多いでしょう。

目を閉じて部屋でゆっくりしていると、自分の未熟さがよくわかります。一日振り返ってみて、どうしてあんな態度とってしまったんだろう、どうしてそんな風にしか言えなかったのだろう、そんな連続です。その場で自分を守ろうとしたり、自分をよく見せようとしてしまったり、そういう我というものをなくせないものかしら。

でも、一生懸命生きようとすると、何かのおりに、ギュッと何か素敵なものが詰まったものが胸のあたりを温めてくれるような気がします。それが感謝の源になって、生きる力になります。一生懸命というには、あまりにもいい加減な生活ですが、そんなことを今日、発見しました。

プレゼント

あっという間に過ぎてしまう毎日で、ついさっき、昨日の日記をつけていたような気がします。でも振り返れば、いろいろあったかなぁ、という気もします。

お金が発達して、ものがお金で買えるようになって、逆にお金がないと買えないような錯覚に陥ったりすることがあります。この、お金で買う、という観念が、とても傲慢で、物事を軽んじるきっかけになるように思えました。実は買ったものも買ったのではなくて、プレゼントを与えられたと思うと、毎日が素敵なことのように思えたりします。ご飯も衣服も、電車に乗ることも、家族や友人との会話や、生活自体、そういうプレゼントを与えられているだと思うことで、感謝の気持ちや、プレゼントなんだから大切にしなくてはという気持ちがわいてくるような気がします。

ゆとりがなくなると

今日も一日、無事に過ごせました。ありがとうございます。

日中は会社で、何かと大変なことが絶えません。忙しいといらいらしがちだし、それが人への対応をぞんざいにしてしまったのを反省。自分の心の狭さを実感してしまう毎日です。結局自己中になっているということなのでしょう。集中したいことに集中したいという自己中。あるいは、心のゆとりが持てない心の狭さ。少しずつでも、それらを改善して、心の成長につなげたいと思った今日一日でした。その場面になると、ついつい忘れてしまうんですよね。

パソコンが来た

今日、ネットで注文しておいたパソコンが届きました。Lavie Zというやつで、ともかく、世界で一番軽いパソコンなんです。確かに薄くて軽いです。自分のノートがわりにしようと思って購入しましたが、自然に鞄の中にしのばせられそうです。タブレットとかも持っているのですが、どうも使いづらくて。やはりキーボードってたいせつだなと思いました。仕事用のはやはり重くて、毎日持って帰るきにはなりません。ちょっとカフェによって、メモを書くとか、英語の宿題をするとか、いろいろ幅が出そうです。